
産業組合法により地方の経済安定のための法律が作られて以降も産業組合は会員以外が組合の金融サービスを受けられないなどの制約があり地方の中小企業者や庶民の生活は厳しいものでした、それをうけ1917年(大正6年)には産業組合法をさらに発展させた改正案が生まれました。
これにより従来の信用組合は都市部の中小企業を中心とした市街地信用組合と市街地の企業を中心とした準市街地信用組合とに大別されるようになりました。
このうち市街地信用組合は金融機関としての地位を確実に高めていき、1943年(昭和18年)に産業組合法から独立した新たな法律市街地信用組合法が成立し市街地信用組合は全国に広まり国民のための金融機関として確立されていきました。
1900年の産業組合法の設立から約40年の時を経てついに日本にも法律によって認められた地域手動による金融専門の機関が誕生しました。ここに至るまでには様々な困難がありその代表的なものとしては1930年(昭和5年)の昭和恐慌といわれています。
これにより農村経済は大変な打撃を受けたことに対し当時の農林省は農山漁村経済更生運動という政策に着手しその中核となったのが当時の産業組合で政府によって各地方の町村に産業組合が設置されていくこととなりました。
それと同時に農家を産業組合に加入させることにより今案で法的に拘束されることのなかった部落単位の農家組合も簡易法人として認められ、法人として産業組合に加入することが可能となりました。ただその裏で1933年に産業組合中央会によって提示された産業組合拡充5カ年計画などの運動が一部の商工業界からの反発緒受けていたという事実もあります。